こんにちは。
滋賀や関西のお客様を中心にホームページ制作を承っているエムクアです!
早速ですが皆さんは「近江商人」や「三方よし」という言葉を聞いたことがありますか。
私は、関東出身で滋賀に来るまでは詳しい言葉の意味を知りませんでした!
今回は、滋賀に関連が強いこれらの言葉についてご紹介したいと思います!これらの意味をわかっていると今後のビジネスでも役に立つと思いますので是非参考にしてみてください。
滋賀の教養!近江商人と三方よしについて
出典: https://sam.shiga.jp/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%95%86%E4%BA%BA%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8/
近江商人についてどのような印象があるでしょうか。
どのような人たちなのか説明していきましょう。
近江商人とは、江戸から明治にかけて、近江の国を拠点に全国で行商を行なった人達のことをいいます。滋賀には五個荘という場所があり、ここには当時の町並み、暮らしぶりが分かる施設が色濃く残っています。
中でも近江商人博物館では近江商人の家訓や近江商人が活躍した当時の文化まで、模型や
映像を使って分かりやすく説明しており、より身近に近江商人を感じられる施設になっています。近江商人を知るには外せない施設です。
では実際に活躍された方について何名か紹介します。
・伊藤忠兵衛さん(丸紅、明治時代に外国貿易を始めた。後の伊藤忠商事)湖東商人。
・武田長兵衛さん(武田薬品工業、大阪で和漢薬の販売を始めた)日野商人。
・飯田新七さん(高島屋、駿河出身ながら、飯田儀兵衛さんの養子となり呉服店始める)
高島商人。
・大村彦太郎さん(白木屋、日本で初めての洋風建築デパートを始める。後に東急百貨店に
吸収される)長浜商人。
・西川甚五郎さん(西川産業、近江八幡に邸宅あり。干物から弓矢を経て布団の西川として
明治から活躍され、今も商人は根強く人気がある)八幡商人。
商人の売り方の基本
のこぎり商い→井原西鶴の日本永代蔵の本で書かれており、持ち下り荷といって地場産業の特産品、例えば、八幡なら畳表、日野なら薬、湖東では近江上布などといったものを各地方に持って売ります。それで終わらずに登せ荷といってこの持って行った物を近江に持って帰って売ったり、自分の所の商品の原材料として使ったりします。
関東や東北の青そう(さらしや上布の材料となるもの)、べに花、生糸、畳表の材料のい草や海産物があります。
のこぎり商いとはこのような押したり引いたりの作業で、木をのこぎりで切る様子のたとえからこのような言い方になったのではないかと言われています。
産物さらし→各支店で商品を流通させるやり方です。
例としては、松前で仕入れた海産物を大阪や江戸で売ったり、大阪で仕入れた古着を
東北で売ったりすることです。
これは行って帰るだけでなくまさに産物を全国にまわすということです。
この2つの商いが代表的な商いなので、知っておくとより近江商人のことを学習しやすく
理解も早くなり一石二鳥だと思います。
近江商人の食事情
近江商人を支えた食事とはどのようなものだったのでしょうか。
近江商人はこれまで、このような商いがあると示してきました。
もしこの時代にこのような商いの場合、食事も大切になってきます。そこで、近江商人を
支える奥様方にスポットを当て、どのようにして一日中移動のような日があったとしても、パワーをつけていたのか紹介します。
しかし、そのような正確で分かりやすい文献があったのでしょうか。
「塚本さと」さんを紹介します。彼女は、塚本砂糖という所で育ちますが、母を早くに亡くし、20歳で父も亡くし、2代目を兄と、お婿さんと一緒に事業をされた方で、大変活躍された方です。近江商人は、留守を守る奥さんの大きな支える力があって、初めて近江商人として成立するといわれています。
又、奥様は他国に出ている近江商人をフォローする役目もあったといいます。これだけでも
奥様の役割がかなり大きかった事がうかがえます。
この塚本さとさんは、世間を広く知ることが大事と考え、女子教育の為の学校も77歳で設立されます。隠居された後でのこの設立は彼女の大きな功績といって良いのではないでしょうか。
では、具体的にどのような食事があったのでしょうか。
塚本さとさんは、自分のお嫁さんに対して「姑の餞別」と言われる書物を書き残しています。
これには食事はもちろんのこと、家の習慣や接客時はどう対応するのか、四季折々にはどうするか等を記した大変内容の濃いものだったといえます。
この書物はひいてはこの地域の奥様方の一つの大きな手引きのようなものになったといえます。
そして、彼女が書き記した「さと御膳」は、「五個荘さと御膳」と呼ばれ、今もなお、愛されている郷土料理です。
くちなしの実の黄色のごはん、どろがめ汁といい、亀の形をした茄子、大量のごま、昔でいうと羽釜に残ったご飯を炊き込んだおつゆになっています。これは夏バテ防止にもなる汁物です。
加えて贅沢煮といい、沢庵を一週間かけて煮込むという大変手間のかかった煮物です。
これは、近江商人の物を捨てない倹約の精神が表れた料理ともいえ、何でも漬物にして残したりして最後まで使うということが料理にも活用されています。
そして丁字麩の酢味噌和えです。これは弔辞などのフォーマルな場所でもふるまわれた料理です。
次に、エビ豆です。この料理は琵琶湖の恵みといわれエビと大豆を煮たものです。
そして五個荘で三代続いたでんとうある田楽です。
そこに梅干しを炊いた甘煮を添えます。
この豪華な御膳におはぎも加わります。このおはぎがないとカロリーが上がりません。
このお膳全てで924kcalあり、大変栄養のある食事ながら、質素、倹約の精神が守られた素敵な御膳であったといえます。
今も愛されるとても考えられた食事なのが分かるような気がします。
三方よしとは?
出典:https://nakaeshogo.com/sanpo-yoshi/
三方よしの三とは、「売り手」「買い手」「世間」です。
これは、先程説明した近江商人が大切にしていた考えです。
信頼を得るために、売り手と買い手がともに満足し、さらに社会貢献もできるのが
良い商売であることだと考えていました。
彼らは、自分のための利益ばかりを考えるのではなく、ただ、人のためになることを
行なってきました。その集まった信頼が大きな利益のもとになったといえます。
ここで貯まった利益を学校や橋の建設に無償で使っていったそうで、その功績を
知らない滋賀県民はいないかもしれません。何かしらの教育の形で関わっている
ことでしょう。
今でもこの近江商人が残した売り手の都合ではない、買い手のことを第一に考えた
貢献を表す「三方よし」は代々の会社等の経営者の指針にもなっています。
これは近江商人が掲げた10の教訓にも表されているので紹介します。
近江商人が掲げた10の教訓
- 商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
- 店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何
- 売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる
- 資金の少なさを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし
- 無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になる物を売れ
- 良き物を売るのは善なり、良き物を広告して多く売るのはさらに善なり
- 紙一枚でも景品は客を喜ばせる
- 正札を守れ、値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ
- 今日の損益を常に考えよ、今日の損益を明らかにしないでは、寝につかぬ習慣にせよ
- 商売には好況、不況はない、いずれにしても儲けねばならぬ
この精神は現代でも様々な場所で活躍していることだと思います。
その活躍の場はとどまることを知らず、会社の社訓やビジネス書、株の考え方や接客用語
などの参考になっています。
食事情は家庭のあり方などでも本になっていたり、様々な郷土料理でも紹介されています。
以上が滋賀に関連の深い近江商人と三方よしについての紹介になります。
この素晴らしい思想は、日本をとどまらず世界に向かってこれからのキャッシュレスの社会や物を売り買いする時の原点として、大切に考え継承していくことが必要だと強く思わされます。
これからの未来の若者で一人でも多くの方がこの考えにたどり着くことを大いに期待したいです。
尚、もし滋賀でホームページ制作会社をお探しでしたらエムクアを是非ご利用ください!弊社ではデザインが良くSEOに強いホームページ制作が得意です!